日本酒物語

第三話:弥生から大和へ

弥生時代に始まった稲作農耕は、やがて生産の主体となり、階級社会が生まれ、地域単位の小国家があちこちに出来ました。
それが4世紀、5世紀になると、この小国家は次第に統一され、7世紀には全国を統一した大和朝廷が成立。文化的にも天皇主導の歴史書『古事記』(712 年)と『日本書紀』(720年)が相次いで世に出、さまざまな酒の記述が見られて、各地で酒造りが始まっていたことがわかります。

その中には、前章でお話した「口噛み」による米で造った酒の話が初めて出てきます。『日本書紀』の神代の巻の下(げ)に、神吾田鹿葦津姫(かむあたかあしつひめ:木花開耶姫(このはなさくやひめ))が彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を出産したとき、めでたいと「天の甜酒(あまのたむさけ)」(一夜酒=甘酒)をみずから醸したとあります。そして最もよく知られているのが素戔鳴尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治するために造ったという「八塩折之酒(やしおりのさけ)」(古事記)です。

この酒は、一度仕込んだ醪(もろみ)を搾って粕を分けた新酒に、再び麹とご飯(かたいカユ)を仕込み、この醪が熟成すると、また搾るという方法を何度も繰り返した濃醇な、アルコール分の高いお酒です。 出雲国肥河(ひいかわ:現揖斐川)という暴れ川を八岐の蛇にたとえた治水の神話はともかく、この醸造法は、天の甜酒よりはるかに高度な知識と技術が必要で、太古、この手順を考えていたとは驚くべきことです。

サケの語源

さて、この二つの書物に出てくる酒の呼称は、「ミキ」が最も多く、「サケ」がこれに次ぎ、「クシ」と「ミワ」が少しあります。 「ミキ」の「ミ」は接頭語で、「キ」は食物全般を指した「ケ」が転化したものと言われています。ただ、現代では、神様にお供えする酒を「御神酒(おみき)」と呼ぶくらいで、酒のことを普通「ミキ」とは呼びません。

「クシ」は「奇(く)し」、「くすり」の古語と同じです。「これを飲むと気持がやわらぎ明るくなる」ので薬だと考えたのです。 「ミワ」は大和国三輪(現奈良県桜井市三輪町)の酒の神様・大神(おおみわ)神社(通称三輪明神)の「味酒(うまざけ)の神酒(みわ)」からきたもの。

現在、普通に使われている「サケ」の語源は、「クシ」と同じで、これを飲むと明るくはなやいで人生が「栄える」ところからと言われていますが、また、わが国は稲作の国であり、稲の神様のことを大和言葉では「サ」と言い、食べ物は「ケ」ですから、神様(サ)の食べ物(ケ)、つまり酒(サケ)と呼ばれていたという説もあります。

もうひとつ、酒の異名として現在も一部で使われている言葉に「ささ」があります。これは室町時代の女房言葉ですが、一般には中国の酒の異名の「竹葉」からきたものと言われています。これは白楽天の詩「甕頭(おうとう)ノ竹葉春ヲ経テ熟シ(かめの中の酒は春を経てよく熟成してきた)」が広まったものですが、実はわが国にもっと古くからこの言葉があったのです。

『古事記』の中巻「仲哀天皇」の項に、后の神功皇后(じんぐうこうごう)が建内宿彌(たけのうちすくね)に連れられて近江、若狭を巡歴して都に帰って来た皇太子に、無事を祈って造っておいた酒を「献(まつ)り来(こ)し御酒ぞ あさず食(お)せ ささ」(なみなみと注いで召し上がれ さあさあ)とすすめています。
この酒をすすめるはやし言葉が、のちのち酒そものもの異名となったのです。