日本酒物語

第一話:猿か、人か

昔、猿が酒を造ったという話をお聞きになったことはありませんか?
満月の夜、猿が木の穴や岩のくぼみなどに食べ残した山ぶどうなどをかくしておくと、次の満月あたりには酒になっていたという『猿酒』の逸話です。

この酒を樵夫が見つけて盗み飲みしたというのですが、猿の酒造技術は今も変わっていないでしょうから、それなら現在でも林業にたずさわる人たちが、どこかの山中で『猿酒』を発見したというニュースが聞かれてもいいのですが、残念ながらそういう知らせはありません。ところが、これと同じような酒を、実はほかならぬわれわれの祖先が造っていたという、ほぼ確実な痕跡が発見されているのです。

半人半蛙文 有孔鍔付土器それはBC4000~3000頃、縄文中期にさかのぼります。長野県諏訪郡富士見町の藤内遺跡群から出土した多くの土器のなかから、酒壷として使われていたと思われる高さ51cmという大型で膨らみのある『半人半蛙文 有孔鍔付土器(写真:井戸尻考古館所蔵)』があったのです。
広い口元には、発酵によって出るガスが抜ける穴が18個あいており、壷の中に山ぶどうの種子が付着していたのです。 ここから、わが国最古の奬果(汁の多い、種子の多い植物)の酒が造られていたものと考えられました。  

雑穀類の酒も

同じ縄文中期まであったと思われているもうひとつの酒が、堅果や雑穀などで造った『口噛み酒』です。
この酒は、わが国の古代だけでなく、南米のアンデス高原やアマゾン上流域の先住民の間でも、それぞれの民族の食べ物(でんぷん質のもの)を口で噛んで造っていました。奬果の酒と堅果、雑穀の酒が、地球上に現れたアルコール飲料の原点とみていいでしょう。
やがて、縄文後期に入り、中国から稲作が渡来すると、口噛みの技法は米飯による酒造りへと受け継がれていきました。