会社情報

歴史・伝統

時を越えて受け継いできた
良い酒造りと共に心豊かなひとときを
ご提供できる酒蔵を目指して。

創業者 髙澤節五郎 創業時の試行錯誤

1881 明治14年
菊水の誕生

菊水初代・節五郎は弱冠16歳で、叔父にあたる本家当主・髙澤正路より酒の製造権を譲り受け、造り酒屋として生計をたてることを決意し、酒屋を興す。

当時の酒造りといえば、現在の純粋培養や酵母添加方式と違い、蔵内に住み着いた酵母に期待するという原始的な手法。しばしば火落菌(腐敗菌)が発生し、酒が白く濁って腐敗することも。そうした失敗と成功の繰り返し、試行錯誤しながら、造り酒屋としての形を整えた。

1896 明治29年
清酒製造の免許を新潟県知事から公布

二代目 髙澤俊太郎 千石酒屋へと成長させた

持ち前の好奇心と進取の精神をいかんなく発揮し、従来の方法を踏襲しつつ、新しい技法を導入すべく先進各地の情報を集め、精米機など様々な新しいことを積極的に取り入れた。

1910 明治43年
「菊水」商標登録

『太平記』十三巻(龍馬進奏の事)における『菊慈童』という能楽より、菊の水は不老長寿をもたらすものであり、これに因み酒銘「菊水」が誕生。

1921 大正10年
製販分離を実行

製造は中倉に、営業は代々の元屋敷加治三日市で行うことにし、製販分離を実行。

大不況の中で、需要の多かった焼酎の製造を始め、社会に供給。
その中で俊太郎は、周囲の熱望を受け県議会議員に出馬・当選するなど、政治・経済にわたり八面六臂の活躍をした。

三代目 髙澤徳二郎
・妻チヨ
戦時中の苦境を乗り越えて

1941 昭和16年
戦時中の苦難を耐え抜き、蔵を女手ひとつで守り抜く

徳二郎は病気がちではあったものの、父・俊太郎の留守を守り、家業を担っていたが、俊太郎が脳溢血で倒れ、寝たきりの状態に。翌年、徳二郎も42歳の若さで逝去。妻のチヨが家業を切り盛りしていくことを決意する。

戦況の悪化により、廃業の危機に陥いる。その後も、戦中・戦後の統制経済下での原料不足や、凶作による減産、行政機構や市場の混乱といった苦難を耐え抜き、低迷した製造石高をしだいに回復させるとともに、レッテルをカラーにするなど、酒の商品らしさを整えていく。

四代目 髙澤英介 家業から企業への脱皮
災害を乗り越え、より良い酒をより多くの方々へ

大学商学部で学んだ実学の知識と旺盛なチャレンジ精神、時流を見極める洞察力を発揮し、一酒蔵を家業から企業へ脱皮させるために奮闘。徐々に設備を整えていく。

1956 昭和31年
菊水酒造株式会社を設立

木製の大桶がまだ多くあった古い酒蔵を画期的な新蔵に建て替え、規模拡大を図る。

1966 昭和41年
7月17日 水害被害
1967 昭和42年
8月28日 水害被害

昭和39年(1964)の新潟地震、さらに41年、42年と2年連続で下越大水害が発生。土石流が酒蔵を破壊する。廃業へと傾く気持ちを引き留めたのは、ひいきにして下さるお客様と、英介を信頼してくれる従業員そして家族の存在だった。

1969 昭和44年
現在地に新しい酒蔵を再建

災害による蔵の破壊から一転、現在地に新しい酒蔵を 再建する。

杜氏制を廃止

業界の伝統的な制度である杜氏制を廃止し、先進的な機械設備を導入して合理化を推進するなど、常識にとらわれない「菊水酒造」の体制づくりに取り組む。

1972 昭和47年
日本初缶入り生原酒
「ふなぐち菊水一番しぼり」発売

かつて蔵でしか飲めなかった酒を、すべての工程を見直し、幾多の試行錯誤を経て、日本で初めて缶入り生原酒を商品化。新しい日本酒のカテゴリーを確立。

にごり酒「五郎八」発売
「ふなぐち菊水一番しぼり」発売

独特の食感で、唯一無二の味わい。加熱をせずに生酒で仕上げたことも、当時ではかなり挑戦的な商品だったが、現代ではもはや冬の季語に。

1978 昭和53年
「菊水の辛口」発売

食文化の多様化の時代に合わせ、幅広い料理に合う、辛口の日本酒を浸透させる。

1983 昭和58年
「無冠帝」発売

「吟醸酒本来の味わいを実を持っ て多くの方々に楽しんでいただきたい」という願いから開発。

1993 平成5年
菊水21蔵 稼働

商品ラインナップの増加により、蔵の規模も拡大。

五代目 髙澤大介 モノとコトの融合により
日本酒の楽しみ方を創造していく

高品質の酒を少ない人数で多く造る体制を整え、拡大基盤を確立していく。

2001 平成13年
新ボトリングライン稼働

全ての容量・容器の製品を空気清浄度クラス10,000レベルのクリーンルーム内において充填を行うことで、衛生レベルの向上を図る。

2004 平成16年
菊水日本酒文化研究所 設立

平成18年に法人設立50周年(創業125年)を迎えるにあたり、菊水日本酒文化研究所を設立。研究開発機能、製造機能、人材育成機能、情報発信機能、交流機能を持つ。良いモノづくりを基盤としながら、面白いコトづくりを追求し、「モノ」と「コト」を融合させ新たな提案を創出する拠点となる。

2005 平成17年
新たな経営理念を掲げる
「より良い酒を追求し 豊かなくらしを創造する」
2007 平成19年
US National Organic Program(NOP)認定

「米国農務省が定めたオーガニック食品についての統一基準(NOP)」の認定を受け、アメリカ市場向けに日本で製造したオーガニック日本酒の出荷を開始。
その後、2011年にはコーシャ認証を取得。海外輸出が拡大する。

2010 平成22年
米国現地法人「KIKUSUI SAKE USA,INC.」設立

日本酒と日本文化を伝える啓蒙活動を行うために、北米地域における海外事業の活動拠点を設立。

2012 平成24年
KIKUSUI Renewal Planプロジェクト(KRP)始動

次世代につなぐ「持続する蔵」をコンセプトに、菊水酒造のグランドデザインを刷新するプロジェクトが始動。
各施設が単なる建築物としてではなく、北越後の魅力を取り込んだ「テロワールの建築」として評価され2019年に日本建築学会の北陸建築文化賞を受賞。

2018 平成30年
経営理念を刷新
「私たちは、感謝と良心を以って大地の恵みを醸し、こころ豊かなくらしを創造します」

菊水日本酒文化研究所一般公開
2019 平成31年
本社ショップオープン、菊水庭園公開

菊水日本酒文化研究所の公開後、さらに新発田・北越後に訪れた方々に楽しんでいただける蔵を目指し、本社敷地内に新たに売店と、庭匠・田中泰阿弥氏が手掛けた日本庭園の2つのスポットを公開。

2021 令和3年
菊水創業140周年 お客様への感謝の気持ちを新たに、北越後・新発田に根差し、人々の「健康」「憩」「楽」に貢献するモノ・コトづくりを追求し、こころ豊かな暮らしを創造します。